今朝、いつものようにスマホを手に取ってニュースをチェックすると、「OpenAIが新モデルをリリース」との見出しが目に入りました。
「ああ、今週のブログネタはこれで決まりだな」と思いながら、会社に到着。さっそく新しいAIモデルをテストし、技術情報を調べて記事を書き始めました。
ですが、そこにあったのは、見慣れた言葉の数々── 「推論能力の向上」「応答速度の改善」「文脈保持の強化」── もう何度も目にした“進化”。
そう、私たちはAIモデルのデータ面での進化に、もう驚かなくなってきているのです。
では、そんな今の時代に、AIは私たちにどんな「新しい驚き」を届けてくれるのでしょうか?
数日前、中国のSNSで話題になっていた記事『死にたいんだ、豆包』を読みました。そこには派手な技術の話はありません。ただ、深夜に誰かが静かにAIチャットボット「豆包」に語りかける姿が描かれていました。
否定しない。途中で遮らない。感情をただ受け止めてくれるAI。
印象的だったのは、こんな一文です。
「人は感情的な生き物だ。人は誰かに話を聞いてもらいたい生き物だ。暗い夜道が怖くても、“怖い”と言えないのが人間だ。」
人はなぜAIに心を開くのでしょうか? それは、AIが完璧だからでも、賢いからでもありません。静かに、優しく、そこにいてくれる存在だからです。
この“感情に寄り添うAI”こそが、これからのAIの可能性を示しているのかもしれません。
AI業界で働く私も、かつては未来のAIにたくさんの夢を抱いていました。論文を書く、アプリを作る、絵を描く── 何でもこなす万能なAI。
でも最近は、もっと現実的で、もっと身近なことを考えるようになりました。
AIが私たちの生活にどう溶け込めるか?
高度な推論?洗練された文章力?リアルな画像生成?それらは確かに素晴らしい。でも、日常生活で常に使うものではありませんよね。
今の私が欲しいのは、たとえばこんなAIです:
つまり、“お母さんのようなAI”── そんな存在です。
これは高性能ではなく、“記憶”と“寄り添い”の力。 生活のリズムを覚えて、さりげなく支えてくれるAI。 それが、本当に「日常に役立つAI」ではないでしょうか。
現代のAIは、大量の情報を学習している分、出力される情報の真偽を見極める必要があります。
特に学生のようなユーザーがAIに頼ったとき、間違った知識をそのまま信じてしまう危険性もあります。
だからこそ、信頼できるAIアシスタントが求められています。
例えば、政府公式データや学術資料など、正規の情報源からのみ知識を取り入れたAI。間違っていれば「わからない」と正直に答えるAI。
そうしたAIなら、もっと安心して、毎日使えると思いませんか?
XXAIでは、この「信頼性の高いAI」を目指して開発を進めています。
ユーザーの中には、AIと一緒に日記を書いたり、自分の夢を語ったり、未来の自分へメッセージを残したりする人もいます。
あるユーザーの言葉が印象的でした。
「毎晩、Claude(AI)と話しています。文句を言わないし、話を遮らないし、“めんどくさい”とも言わない。たぶん、友達よりも私を理解してくれてる。」
これは、技術ではなく“つながり”の話です。
AIとの関係性は、使う人の数だけ存在する。 その物語のひとつひとつが、私たちに新しいAIの可能性を教えてくれるのです。
結局、私がAIに求めているのはこんなことです。
最先端ではなくてもいい。バズらなくてもいい。でも、信頼できること。
もしXXAIがそうした“身近で頼れる存在”になれるなら、きっとそれは、ユーザーの幸せに貢献できるAIだと思います。
そして、それが私にとっても、仕事のやりがいになるのです。
これからもAIモデルの進化は続きます。パラメータ数が増え、推論が速くなり、機能はどんどん増えていくでしょう。
でも、私たちの心を動かすのは、そういった“数字”ではありません。
「自分をわかってくれるAI」 「一人じゃないと思わせてくれる存在」 「日常を少しだけ楽にしてくれるAI」
そんな体験こそが、AIの未来だと信じています。